こんにちは、エスケイ不動産センター代表の柴崎正行と申します。
ガキ大将だった幼少時代
私は、昭和36年栃木県の岩舟町という片田舎でこの世に生を受け、
そこで幼少時代を過ごしました。
その頃の私はと言うと、身体も大きくガキ大将だったとのことです。
「夏の暑い日に、制服を肩に掛け、ランニングシャツ1枚で他の子を
引き連れて、幼稚園からさっそうと帰って来た姿が忘れられない」
と時々うれしそうに母が話してくれました。
6歳の小学校に上がる少し前、父の仕事が工場から本社勤務に変わった
ことにより、祖父母を栃木に残し、池袋の2Kの小さなアパートに
一家4人で引っ越すことになりました。 |

(栃木に住んでた頃) |
初めての大都会
田舎者の私にとってそこは、初めて見る大都会でした。
土の無いアスファルトの校庭、
家の周りは車も通れないほどの狭い路地、
アカ抜けた近所の都会っ子達、
子供ながらになかなか都会に馴染めない自分を感じていました。
しかし、そこには何でも揃っていました。
よく行く交通博物館では、今まで見たことも無いカッコいい電車の模型が走っていました。
近くのストアに行けば、今まで食べたことの無いおいしいお菓子が売っていました。
…が…
それでも何とか、子供ながらに気の合う友達を見つけ、都会の空気にも少しずつですが慣れて
行きました。 |
二度目の引っ越しと自分の変化
しかし、そんな矢先、また急な出来事が起こったのです。
私が8歳、小学2年生の時でした。
今度は、父が川越の新河岸に念願のマイホームを購入し、
また一家で引っ越すことになってしまったのです。
やっと作った数少ない友達とも別れ、またまた慣れない土地での新しい
生活が始まったのです。
その頃の私はと言うと、内気で、学校で喧嘩も出来ず、
田舎のガキ大将の姿はすっかり影を潜めてしまっていたとのことです。
「二度の引っ越しによる環境の変化から、この頃急に性格が変わった」
と大人になってから母が(謝るように)言っていたのを思い出します。
大人は少し離れても連絡を取り合え関係を続けられますが、
子供はその都度周りとの関係が切れてしまいます。
そんなことがあってから約30年、この新河岸こそが私にとっての本当の
落ち着く場所となったのです。
父は懸命に働き、無理をしながらもマイホームを購入し、
母は私たち三人の子供を一人前に育ててくれました。
今思うと、両親には本当に感謝しています。
(その父も、引っ越して5年後、家族を残し他界してしまったのですが) |

(新河岸に移った頃)
母、弟、妹と |
今の仕事の原点
ひょんな事から
私は今こうして不動産屋を営み、皆さんの家探しのお手伝いをさせてもらっています。
よく、お父さんお母さんが小さな子供を連れて、店に家探しに来られます。
そういう子供達の無邪気な顔を見るたびに、
「この子達のためにも早く落ち着いて暮らせる家が見つかればいいなぁ」と感じることがあります。
もしかしたら、自分自身の子供の頃の引っ越しによる寂しさが
今の仕事の原点になっているのかも知れません。
現在の自分
私には中学生の娘と小学生の息子がいます。
「お父さんの仕事は家を買ったり売ったりする人のお手伝いをすることだよ」
と何度か教えたことはありますが、たぶん良く理解はしていないでしょう。
しかし何年か経って子供達も大きくなれば、父親の仕事がどんなことで、
周りからどう思われているのか?を知る時が来るはずです。
まして、自宅からほど近い同じ生活圏内に店舗を構え、働く姿を毎日見ているわけですから。
「お父さんは人の役に立ち、喜ばれる仕事をしているんだ」
その時にそう感じて欲しい。
子供達に胸を張って自慢できる不動産屋を続けてゆくことを誓います。
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